園長の独り言  
                                           
   詳しくは絵をクリックしてね。                      
                             

      
  H21.10.6川淵キャプテンと記念撮影        H22.9.19 川淵キャプテン2度目の来園


2011年 6月 15日

   「7人制ラグビー日本代表監督 村田 亙 先生のラグビー教室

 最近の子ども達の体力の低下が全国で取り上げられていることは、皆さんご存知の
ことと思います。核家族化や少子化によって子ども達の遊びの形態が変化していることが
一因とも考えられていることから、本園では、普段から「外に出て思いきり体を使って遊ぶ」
ことを心がけています。園庭の芝生化もその一環であり、小さい頃から身体を使って遊ぶ
楽しさを知り、習慣化してもらいたいと願っています。
 この度 日本体育協会の「こどもの体力向上啓発事業」により、トップアスリートを先生
としてお招きし、子ども達に運動遊びの楽しさを教えていただくことになりました。
種目は「ラグビー」ということで、見たこともない競技やボールに子ども達は驚くことと思い
ます。また、思い切り走ったり、ボールを取り合ったりと「体を使う」遊びにピッタリの競技です。
 下記の要領で教室が実施されますので、保護者の皆さまにもラグビーに興味のある方・
村田先生に会いたい方は見学は可能ですのでお知らせします。
 村田先生がどんなお話しや活動をして下さるのか楽しみにしています。

                 記
 日  時 : 6月24日(金)   10 : 10 〜 講話
                   10 : 40 〜 年長児と活動
                   12:20 〜 年中児と昼食

 《 講師紹介 》
  村田 亙(むらた わたる)現7人制ラグビー日本代表監督
  1968年生 福岡市出身・専修大学ラグビー部主将として関東大学リーグ優勝
  東芝府中に入社後、1996年より日本選手権3連覇。
  1991年よりラグビーワールドカップ、2回・3回・4回大会と日本代表。
  1999年フランスにおいて日本人初のプロ選手となる。2001年よりヤマハ発動機
  ジュビロを経て、2005年37歳で日本代表に復帰、最年長出場記録(40歳)
  2008年より7人制ラグビーの日本代表就任。


2011年 5月 12日(木)・19日(木)

         「希望者参観がスタートします!」

 桜の次はチューリップとパンジーが賑やかに園庭に咲き揃いました。
 以前から保護者の方より「普段の子ども達の様子が見たい」という要望があり、
どんな形での参観がよいかと検討していたのですが、今年度「希望者の少人数参観」を
実施することになりました。
 参観日を増やすことで年間カリキュラムや保育に支障がないように、
月の行事予定が出た後にクラスごとに1〜2回程度の予定を入れることにしました。
そのため学年によっては実施できない月もありますが、1回1クラスにつき4〜5人で
年間では1巡できるよう行います。
 また、「見学参観」という形にこだわらず、給食時間に来ていただき配膳や
食事も一緒に出来るような『給食参観』のような「参加型の参観」を考えています。
少人数の参加ということで、普段通りのお子さんの様子を見ていただけるかと思います。
 毎月希望をとりますのでご都合の良い方は、順次ご参加下さい。


2011年 5月 2日(月)

         「鼓隊のパートを決めています!」
 
 年中さんから「足踏み指導」を始めてきた鼓隊指導もいよいよ曲が決まり、譜面が出来
上がってきました。子ども達が楽しみにしていた「パート決め」をすすめています。
 昨年お手紙にて全園児にお知らせしていましたように、鼓隊指導は長期にわたる
活動のため、園では出来る限り子ども達自身の希望によって決めるようにしています。
中には、保護者の方の希望と子どもの希望が違っている場合があるため、
事前にパート決めの日をお伝えしていません。
先日、それぞれの楽器やパートの説明をし、子ども達に第3希望まで
「自分がやりたいパート」を聞きました。担任がこれをもとに希望のパートを決定します。
これまでは、決める日に希望を聞き、多かったものはジャンケンをするというやり方が
子ども達自身が納得できる決め方としてそうしてきたのですが、昨年保護者の方より
「ジャンケンではなく、希望をとって決めてほしい」という要望があり、今年度は第3希望
まで聞きそれをもとに担任が決めることにしました。
 最終的にどうしても希望に偏りがある場合、ジャンケンになることもありますが、
第3希望までの希望のパートになれるよう配慮します。また園では、先生より充分納得
きるように子ども達一人ひとりに話をしていきますので、お子さんから
「○○の楽器になったよ!」と報告があったら、仮にお母さんにも思うところがあった
としても「うわぁ〜、大変だけど頑張ってね!」 と子ども達みんなで決めたパートを是非 
認め・励ましてあげていただきたいと思います。

 園では、どの楽器もどのパートも何が欠けても1つにならない、ハーモニーが
生まれない大切なものだと考えています。それは年長の子ども達一人ひとりが
大切で欠かせないメンバーだということと同じです。
 これから練習が進んでいきますが、大変なこともあるかと思います。けれども
この大変な練習を乗り越える過程にこそ、「頑張る力」「みんなで協力する気持ち」
「達成感」「体力作り」「協調性」・・・さまざまな成長があると信じています。

 今年の曲は『BELEIVE』です。東日本大震災を聞き、その被害を知るにつけ
被害に遭わなかった私達は「誰かのために何かしたい」と考えたと思います。
世界中の同じ思いでいる人達の気持ちがこの『BELIEVE』の歌詞に込められている
ように感じます。子ども達もこの歌詞をかみしめながら演奏してほしいと思っています。

                           ( 副園長  土岐 環 )



  2011年 3月 28日(月)

          「いのちの役割」 

 先日、四月から入園してくる子どもたちの歓迎会がありました。うろうろと駆け回る
子ども、お母さんにまとわりつく子どもや泣きべそをかいている子どもを見るにつけ、
卒園児の年長さんも三年前までは同じだったなと思い起こしてしまいます。
同時に、年長さんの劇や合奏や合唱している姿に、それぞれの役割を演じながら、
こんなにも大きく、しっかりとたくましく成長してくれたことに頼もしくも感じます。
四月からは小学校へ入学して、みんなそれぞれが一つのいのちとして、
新天地を迎えながら、その人なりの人生を歩んでいくこととなります。

そして、多くのいのちと出会い、別れ、助け合いながら一生懸命に生きていきます。
お釈迦様の言葉に「青い花は青く輝いてよいのです。黄色の花は黄色く輝いてよいのです。
赤い花は赤く輝いてよいのです。白い花は白く輝いてよいのです。」と説かれてあります
。お釈迦様は、私たちに、人のいのちは皆それぞれであり、それぞれの生き方には、
それぞれの輝きがあるものと教えて下さっているのではないかと思います。
ですから、世の中に何の役割のないいのちは存在せず、お互いが関わり合い、助け合い、
それぞれのいのちが輝きを放っています。たった一つのいのちだけでは、
真に輝くことはできないということです。

自分の行動や言動が、人の救いとなり、人の役に立つものであれば、自然と他人からも
輝いて見えるものです。仏教目標である「奉仕」(ほうし)は、「自ら進んで行動し、
誰かのためにお役に立つ喜びを味わうこと」ということです。

しかしながら、「してあげているとか」「やってあげた」という気持ちで行動していては、
決して喜びは沸いてこないと思います。「させていただいた」「させてもらっている」
という気持ちになってはじめて、感謝の気持ちを喜べるのではないでしょうか。

卒園児のみなさんには、限りない可能性があり、それぞれの自分にしか出来ない役割が
待っているかと思います。毎朝手を合わせてきた阿弥陀如来さまは、いつでも、どんな時でも、
それぞれのいのちを明るく照らし、温かく包んで下さいます。つらいことがあったり、
苦しいことがあったり、困難なことがあっても、手を合わせて「ナモアミダブツ」
と声に出し、阿弥陀如来さまのことを思い出して下さい。
きっと、自分のいのちは、ひとりぼっちではなく、多くの人々やものに支えられて、
おかげさまで生かされてる大事ないのちであることを教えて下さいます。
どうか、自分のいのちの役割を確認しながら、感謝の気持ちを忘れずに、
輝きのある人生を送って下さい。

                            (園長 土岐 幸次)



 2011年  3月  21日(月)

         
ほんとのきもち

 3学期がスタートし1年のまとめの時期を迎えると、子ども達の成長が頼もしく
感じられます。今でこそ年少児に対して優しく、そしてお手本になる年長児も数年前は
担任を手こずらせていたことを思い出します。今までに考えられないようないたずらを
してわざと先生を困らせるような問題行動をとる子に対して私達は、
「家庭環境は?母子関係は?生育歴は?」とその子の気持を理解しようとまた、
どのように関わってあげればよいものかとよく話をしました。が、的を得た答えは出ません。
それでも、私達が見守る中少しずつお友達の影響を受け、またいろいろなトラブルを乗り越え、
精神的に落ち着いていく様子をみていくと、周りの大人は何かその行動に理由をつけて
安心したいだけなのかもしれないと思うようになりました。

十月の仏教目標である「聞法(もんぽう)」は、「人の話を聞く。そして自分の考えを
言えるようになる」ということです。「どうして泣いているのか、お話ししないとわかりません。
自分の気持ちをお話し出来るように心がけて下さいね」と言ったものの「自分の考えを
言うことは大人でも難しいことなのに子ども達にできるのだろうか」と考えさせられました。

今日の自分はどうして悲しいのか。逆に、何がこんなにも楽しい気持にしてくれたのか。
・・・人の気持ちは一問一答で答えられるものではありません。様々な気持が絡み合って、
変化し続ける気持の一瞬を捉え、その気持に理由をつけることなど、それが自分の気持であった
としても無理なことだと思うのです。だから前出の悪戯をしてしまう子に「どうして
こんなことをしたのか」と問うても、ましてや周りの他人が想いを巡らしても真相など
解るはずがありません。考えてみると「聞法」はなんと難しいのでしょう。でも私達人間は、
何とか自分の気持を他人に理解してもらおうと自己表現し、保育者は何とか子どもの気持を理解
しようと寄り添ったり、見守ったりと努力をします。

園で見せる子どもの行動は、その子自身の一面にしかすぎないけれど、その子の
「ほんとのきもち」に少しでも近づけるように、「ほんとのきもち」をその子が素直に
表現出来るように信頼関係を築いていかねばならないと思い保育に携わっています。

卒園するみなさん。これから成長していくなかで「自分は何をしているんだろう?」
と自信をなくし、自分のことなのに解らなくなることがあるかもしれません。
そんな時はこの仏さまとのお約束を思い出して、自分の心の中の「ほんとのきもち」に
耳を傾けて下さい。そして自分の感じる今の気持に正直に、また自分の思いを大切に
歩んでもらいたいと思います

                          (副園長  土岐  環)  .


     2010年  4月  2日(金)
  
            「おくりびと」


 民生児童委員の研修で映画「おくりびと」の原作者で有名な青木新門さんの講演を
聴く機会がありました。私は数年前にも仏教婦人会で青木さんのお話を聴き、
同じように「納棺夫日記」がテーマだったのですが、前回以上に今回は私の心に
強く響くものがありました。なぜならそれは、その間に私自身が両親を亡くし、身近な
人の死を経験したからです。

 寺に育った私にとって「死」について他の人よりも幼いころより身近に接する機会が
あったとは思いますが、やはり今思えば、傍からみる死であったように感じます。
実際に母の死に直面し、早かった別れに「死なないで」と号泣するかと思っていたのですが、
死んでゆく母に「ありがとう」の言葉しかでてきませんでした。悲しいというよりも、
命を授けてもらったこと・愛情一杯に育ててくれたこと・・・これまでの母の姿が浮かび、
感謝の気持ちで一杯だったことを思い出します。
 両親の死に対して、周りの方々から「まだまだこれから頑張ってもらわなあかんかった
のにね、残念だ」「孫の成長を見たかった事でしょうね、可哀想に」と声をかけていただき
ましたが、私は素直に受け入れられず、反発する気持ちさえありました。「短いことが
悔いを残すダメな人生だったのか?」そのように母の人生を評価されたような思いが
したのです。
 死を迎えた母は、病院で皆に「おおきに」と手を合わせていたように、最期の瞬間も
感謝の気持ちをもち、自分の人生に満足して往生したに違いありません。
そして父もまた、駆けつけた私に「ありがとう、すまなんだな」と最期の言葉をかけてくれ、
そのまま意識は戻りませんでしたが、自らの人生を悔いる事はなかったと思うのです。
 私もまた、悲しい気持ちはありますが「もっといてくれたらよかったのに」と恨めしく
思ったことはなく、早かったからこそ亡くなった両親から教えられたことが大きかったと、
亡くなってもなお私を導いてくれているように感じています。
 だからこそ、青木さんのお話しを聴き、共感して涙がこぼれたのです。身近な人の死を
経験してこそ、他人の悲しみや命の尊さが解り、また、死についていろいろと考える機会を
得るのだと思います。

 「死」は決して忌み嫌うものではなく、往生する人生を認めて、お別れする大切な
場であると思います。悲しみもありますが、それをおくる私達も、これまでの生き様を想い
感謝してお別れする・・・。小さな子ども達も、かわいがってくれたおじいちゃんや
おばあちゃんの死にこれから出会うことがあるかもしれません。
その時は、「まだ理解できないから」と隠すことなく、きちんとお別れをさせてあげて
ほしいと思います。きっと、悲しいお別れから学ぶことがたくさんあるはずです。

「大切なことを教えてくれて、ありがとう。仏さまになって、これからも見守っていてください。」
そんなおくりびとになってもらいたいと思います。

                                     ( 副園長 土岐 環 )


     
     2010年 3月  1日(月)

             「み仏さまって誰?
                               

 園児たちに「み仏さま」をどう説明をすればよいかということは、私をふくめ先生方の悩みの種で
あります。まず、「仏さま」「阿弥陀(如来)さま」「ののさま」「お釈迦さま」といくつも言葉がありますが、
園では親鸞さまの視点で行事ごとに使い分けをしています。園長である私から少しでも子どもたちに
理解してもらえるように合同礼拝の時にお話をさせていただいていますが、むずかしいようです。
 子どもたちが「のんのののさまほとけさま」と歌っていることを思えば、誰なのかを説明しなければ
ならないことだと思います。
 浄土真宗での「ののさま」は阿弥陀如来さまであり、本尊である「仏さま」ということです。つまり、宗派
によって「ののさま」「仏さま」は薬師如来であったり大日如来であったり釈迦如来であったりします。
 また、仏さまとお釈迦さまと区別できるのかということですが、お釈迦樣はインドのマカダ国の王子さま
として生まれた人間であるということ、見ることの出来た方です。一方、仏さまは、実際目で見ることの
出来ない方々であるということです。
 ただし、お釈迦樣は釈迦如来の化身として人間界に登場され、人間が成仏するために多種多様の
お働きをもつ仏さまを紹介された実体化した「仏さま」のお一人でもあります。
 子どもたちには、お釈迦樣が「阿弥陀如来さま」のお働きを教えてくださり、親鸞様が「阿弥陀如来さま」
こそが唯一、私たちにいつも寄り添って見守ってくださる「仏さま」であり「ののさま」ですよと教えています。
 「仏さま」の概念は大人でも頭の中で混乱しますので、子どもたちが年をとって、園での思い出の中で
「あの仏さま」(阿弥陀如来さま)の木像や絵像を見たこと、聞いたことがあるよと、何か親しみを感じて
くれれば幸いです。
 卒園される皆さん、卒園しても皆は、仏の子です。いつも身近に仏さまを思って下さい。
嬉しいとき、悲しいとき、いかなる時にも付き添って励ましてくださる仏さま(阿弥陀如来さま)を信じて、
これからの人生を心豊かに過ごしてください。
 みなさんが元気に明るく、がんばってくれることを心から仏さま同様に応援してます。                        
                                            合掌    (園長 土岐 幸次)


     2009年 6月  7日(日)

        「園庭芝生化(JFAグリーンプロジェクト)決定!」      
 
              ートップページで随時更新中

 かねてより青々した芝生が子ども達のよりよい教育環境になるのではないかと
検討してはいましたが、費用面・維持管理・除草剤が環境や子どもに与える影響や
芝の養生中に園庭が使用出来ないことなどを考え、熟慮していました。
 昨年末、ご存知の方もおられるかと思いますが、「芝のポット苗」についての報道
がありました。これまで日本でよくみられる「高麗芝」とは違い、丈夫で養生中が無く、
除草剤の必要がない芝でスポーツに使うグランドや学校や園庭に最適であり、全国に
その芝を広めていく活動が行われているそうです。
(興味のある方は、「鳥取方式」・「二ール・スミス」でパソコン検索してみて下さい。)

 日本サッカー協会で以前から「JFAグリーンプロジェクト」事業があり、校庭の芝生化を
進めておられます。今回その芝も「ポット苗」を利用すると聞き、芝生化モデル事業の
無償提供の選考に応募したところ、全国で多数応募があった中 白藤幼稚園が採用
されました。
 このポット苗は、業者がカーペット状になった芝生をはり次の日には芝生になっている
というものではなく、利用者で植え・育てるというものです。その過程もまた、子ども達の
教育にプラスになると賛同するところです。6月には、協会の依頼により育てられた芝の
苗が届けられ、サッカー協会から来られるインストラクターの方の指導のもとみんなの
手で植え、育てることになります。

 日本サッカー協会のご好意でいただくこの「苗」を感謝して大切に植え、子ども達と
一緒に園庭がどんどん青々した緑に変わっていく過程を楽しみながら、大切に育てて
いきたいと思っています。

 この「芝のポット苗」植えの作業を父親参観の親子活動として、年長・年中児とその
保護者の方にお手伝いいただきたいと考えております。
 どうぞ保護者の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
 芝が根づいて成長し、緑の芝生の上を元気に駆け回る子ども達の姿をみなさんと
一緒に楽しみにしたいと思います。
                                  
                                  ( 副園長  土岐  環 )
                        


   2009年 3月  28日(土)

          「これでいいのだ」
            

 昨年、漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられました。マンガといえば、両親の
教育方針だったのかあまり見せてもらった記憶がなく、その影響もあり、とりわけ
ギャグ漫画などは、私自身そのナンセンスな話の展開を面白いと感じられないで
いました。けれども、葬儀でのタモリさんの弔辞を聞き、赤塚さんの人柄や作品に
込められた想いを知ることができました。


 「・・・あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、
  受け入れることです。・・・この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
  すなわち、『これでいいのだ』と。」  《タモリ弔辞より》


 「あるがままの現実」「あるがままの私」を受け入れるということは、とても難しい
ことです。私達は悪い結果にぶつかると、つい何かのせいにしてしまったり、
思い通りにいかないことを愚痴ったりしてしまいます。そして、子どもにも「だから
こうだって言ったでしょ」と怒ってしまうこともありませんか。原因や責任の所在を
追究したりしても現実は変わりありません。私達は次の一歩を踏み出さなければ
成長できないのです。そんな時「これでいいんだよ」と私を認めてくれ、この先へと
背中を押してくれる存在があることがどんなに私に力を与えてくれることでしょう。
仏さまや親がその存在であることをあのバカボンのパパは私達に教えてくれて
いたのかもしれません。


 卒園生の皆さん、これから歩んでいく中で、どうしようもなく自分に自信をなくす
ことがあると思います。そんな時は、み仏さまが必ず「これでいいんだよ」と優しく
見守って下さっていることを思い出して下さい。そして、親であり保育者である私も
また、「これでいいのだ」とどっしりと構え、子ども達に力を与えられるような、
子ども達が自然と笑顔になれるような存在になりたいと願っています。

                                 ( 副園長  土岐  環 )


     2009年 3月  6日(金)

            「 なもあみだぶつの心 」
            

 早いもので、もうすぐ修了式を迎えます。
卒園児は年少さんの時から、「あみだにょらいさま」の前で、「なもあみだぶつ」と、
透きとおるような声で、お念仏を唱えてくれました。
 年長さんになってからは、ローソクとお花とお香をお供えして、仏さまのご給仕を
してくれました。
 ローソクの灯火は「仏さまの知恵」のお働き、お花は「仏さまの慈悲」のお働きを
示してくださっています。
 ローソクの灯火が暗闇を明るく照らすように、仏さまは、私たちがわがままな生き方を
しないように正しい生き方へ導こうとお働きになっています。
 お花はなんとなく温かいものを感じ、私たちが悲しい時、苦しい時には、その悲しみや
辛さを和らげてくれます。 
 仏さまもお花のように、私たちが苦しい時、困った時、喜んでいる時も、私たちといっしょに、
苦しみ、悲しみ、そして、喜んでくださる「慈悲」のお働きをしてくださっています。
 仏さまは私たちと共に、いつでも、どんな時でも、私たちを明るく照らし、温かく包ん
でくださる存在です。
 ややもすると、私たちは自分だけの力で生きているように思うことがありますが、
私たちは絶対に一人では生きていけません。
 誰にでも、両親や兄弟があり、親戚があり、たくさんの人たちに温かく包まれて
生活して生きているはずです。
 そして、この地球上で、社会で、家庭で、生かされている命です。
 私たちを温かく包んでくださっている人たち(すべての命)には、おかげさまで
「ありがとうございます」という言葉しか見当たりません。
 ですから、「あみだにょらいさま」の前では、「いつも見守ってくださいまして、
ありがとうございます」という感謝の気持ちを込め、力強く「なもあみだぶつ」と
お念仏する心が大事です。
 
                                   (園長 土岐 幸次))


       8月 13日(水)

           「  おかえり  」

 夏休みもはや半分すぎ、休み中の毎年恒例「夏祭り」や「同窓会」も
終わりました。今年の同窓会には例年以上に小学生が集まってくれ、
慌ててジュースなど追加するというような私達にとっては嬉しい悲鳴でした。
やんちゃぶりもパワーアップした卒園児を見ると懐かしさとその成長に
驚き感慨深いものがあります。取り立てて何をするでもなく、ただ近況を
報告しあい、ホールであの頃のように身体を使ってゲームをする・・・そ
んな会なのですが、先生の顔を見に・懐かしいお友達に会いにやって
きてくれる子ども達。子ども達は成長しますが、私達は毎年おかしいくらい
変わりなくあの頃と同じように迎え、時の経ったことを確認するのです。

 また、夏休みには数々の研修があり、預かり保育の当番以外の先生も
それぞれの研修に出かけています。その中の1つ、今年の「まことの保育
大学講座」は、この週末富山での開催となり、当園の教諭は全員出席し
ました。この研修は、幼稚園・保育園を問わず、浄土真宗本願寺派の
保育に携わる園が集まり、ブロック毎に全国で行っているものです。
中部・北陸ブロックは毎年夏のこの時期に各教区持ち回りで開催となります。
 記念講演は、富田富士也先生のお話。軽快な語り口で、心にしみる
言葉が散りばめられた1時間半でした。その中に『還るいえがありますか』
という問いかけがありました。当たり前のように「はい」と答えたものの、
最近続けて報じられている事件について思うと親子関係の難しさについて
ふと考えさせられました。「バスジャックして親を困らせよう」と考えた少年や
父親を刺してしまった女の子に本当の意味で還るいえがあったのだろうか?
これがそうだと感じていたのだろうか?そして、私自身は親として保育に
携わる者として、還るいえを用意してあげているのだろうか?と。
「帰る」ではなく「還る」とされたのは、物質的な家ではなく心の還るいえだからです。

 今、そんなことを思いかえしながらお盆をむかえています。
だんだんと故郷でお盆をむかえる人が減っているといわれる中にも故郷に
向かう道路は渋滞し、暑さにも関わらずお墓にお参りに来られます。
お御堂に向かい、帽子をとってお念珠を手にかけ、一呼吸おいて合掌して
おられるお年寄りも若者も、その姿をみると「ここに還ってこられたのだな」
としみじみ思います。懐かしい故郷のここに来て手を合わせることで、
また、亡くなった親を想い瞳を閉じてみることで、私達はなにかしら心の中が
安らかになるのです。
 なにも変わらない風景は「おかえり」と温かく迎えてくれているようであり、
過去の体験を繰り返すとその頃の気持ちに戻れるようです。辛いことや悲しい
ことがあると「一人ぼっち」のような心細い想いでいっぱいになりますが、
「おかえり」と迎えてくれる誰かの存在は、ただそれだけで心に力を与えて
くれるのかもしれません。
 私も自分自身の還るいえを見失わないように、また、子どもや自分に関わる
人に安心できるいえを用意してあげられるような親であり保育者でありたいと
思うことです。

                                 ( 副園長  土岐  環 )     


    3月  9日(日)

         
「  蕾  (つぼみ) 」

 年長さんの卒園の時期となり、子ども達が入園したばかりのことが想い出され
ます。お母さんと離れるのが不安で泣いていたお友達。それはお母さんも同じで、
窓の外からお部屋の中の様子をそっと見ていたお母さんの姿も瞼に浮かびます。
「大丈夫よ。頑張れ」お母さんの心の声が聞こえてきそうです。
 バスに乗ったとたん泣き出すお友達。見えなくなるまで見送るバスに「泣かない
で。頑張れ」と念じていたお母さん。誰よりも子ども達の理解者ー「これは出来るけ
れど、あれは苦手」や「この子は、こんな風に考える子なんです」など子どもの事は
心の中までわかっているというお母さんは、初めてわが子を集団に送り出す不安から、
代弁してあげたい気持ちでいっぱいのことだったでしょう。
 
 これから先どんなに心配でもこれまでのようにずっと傍にいてあげることは不可能
です。転ぶまいと先回りして手を貸すことは容易いことですが、私達保育者は子ども
の力を信じて、手を出すこと口を挟むことをぐっと我慢して、ただその成長を見守って
あげなければなりません。自らの力で次のステップへあがろうとしている子ども達を
ただ応援するしかないのです。子どもの人生を、苦労を変わりにしてあげることはで
きません。
 けれども、弱音をはいた時には聞いてあげ、涙が出たときには抱きしめて、
「出来た!」と誇らしげな時には一緒に喜んでくれるお母さんの存在がどんなに子ど
も達に力を与える事でしょう。

    散り際に もう一度開く花びらは あなたのように
    聴こえない頑張れを 握った両手に何度もくれた  (コブクロ 『蕾』 より)
                
 コブクロの『蕾』という曲を聴かれた方も多いと思います。亡くなったお母さんを想い
かかれた詩。この歌詞の情景と私が母を看取った病室の光景が重なり、思わず涙が
こぼれました。
ともすれば、まるで一人で大人になったように感じていた私。でも、あの時も、あの
時も・・・常に私達姉妹を見守ってくれていた母。子どもの力を信じて、「あなたなら出
来るはず。頑張れ」と心の中で応援してくれていました。今まさに命の尽きるその時
まで、私達を案じていてくれたのです。そして、母の「聴こえない頑張れ」は、亡くなった
今もなお私の心に届いています。
 
 本当の意味で、親のない子はありません。皆、親から願いをかけられて生まれてくる
のです。そして、みんなの願いが花開くように応援し続けて下さっているのだと思います。
きっと、仏さまも同じー「聴こえない頑張れ」をみんなに届けて下さっています。卒園する
皆さんは、お父さんやお母さん、そして仏さまの「頑張れ」が、心で聴ける人になってもら
いたいと願っています。

                                        (副園長  土岐 環)


     1月  17日(木)

         「新たな気持ち」

 新しい年、そして3学期がスタートしました。3学期は、この1年のまとめの学期です。
また、いろいろ成長したことに自信をもって、年長児は進学に、年中・少児は進級に
それぞれ楽しみに準備をしてほしいと思います。
 1月の仏教目標は「報恩」です。『ありがとう』の気持ちについては、いつもお話する
ことですが、この始業式で子ども達に「なにか物をもらったり、助けてもらった時だけ
『ありがとう』なのかな?」と尋ねてみました。「先生は、今日元気なみんなに
会うことが出来て、一緒に新しい年を迎えられたことに『ありがとう』という
気持ちで仏さまにお参りしましたよ。」と続けました。
「今日お休みのお友達は、きっとみんなに会えなくて残念な気持ちでいると思います。
みんなは、当たり前に幼稚園に来て楽しく過ごしていますが、そんな当たり前のように
思えることも、『ありがとう』なんだよ。」と 子ども達には難しかったようですが、
私自身に言い聞かせるように、お話ししました。

 2学期末、白鳥見学に行った折りのこと。「去年はたくさん来ていたのに、今年は
10羽ほどで、子ども達もがっかりでした。」と付き添いの先生から様子を聞きました。
「せっかく出掛けて行ったのに残念だったね。」と私も返事をしましたが、自分が
富山に来て初めて田尻池の白鳥を見に連れて行ってもらった時を思い出し
はっとしました。
飼われているのではない、野生の白鳥がこんなにも間近に見られることに感動し、
また、地元の人々が今年も白鳥が飛来することを心待ちにしておられることを知り
「富山の子ども達は豊かな自然に囲まれて、恵まれているなぁ」と感じたものでした。
永らく恵まれた中にいたことで感動する気持ち・それを子ども達に伝えることも忘れ、
「去年は20羽だったのに、今年は10羽で残念」と思った自分が情けなくなったのです。
 この冬は未だ雪が積もらず、子ども達は雪遊びをしていません。冬とは思えない
晴天のもと園庭で元気にサッカーをしています。これを「雪遊びが出来なくて、つまらない」
と過ごすか「やったー!今日もお天気で外でサッカー出来るね」と子ども達と喜ぶか・・・。
「去年の子白鳥、大きくなって戻ってきたんだね!」と子ども達と感動を共有する方が
いいに決まっています。残念に思う気持ちも大事ですが、全てのことを不足に考えずに
なにかプラスに考えることこそ、感謝して過ごすということではないでしょうか。

 経験すること歳を重ねることで、反省し成長していかなければならないことはもちろん
ですが、『慣れ』が感動する気持ちをなくさないように気をつけなければ。このことは、
子ども達に教えることではなく、周りの大人が、この私がまずそのように考えて
生活することが大事ですね。
 新しい年を迎え、『新しい気持ち』ってなんだろうと考えました。この1年を少しでも
「当たり前の日常を当たり前と思わず感謝して過ごす毎日」「新たな気持ちで感動を
子ども達と共有できる毎日」になるよう心がけ過ごしていきたいと思っております。

                                        (副園長  土岐 環)



    2008年 1月  1日(火)

         「新年を迎えるあたって」

 久しぶりに文章をつづっています。
 大晦日は新年を迎えるにあたって、何かと慌しい日です。私も年末までに
やっておかねばならないことが、たくさんあります。
 なんとか、ぎりぎりにならないよう片付けることが出来、職員室に一人コン
ピューターの画面と向き合っています。
 とはいえ、年賀状は・・・・・むなしく、白紙のまま書斎の机の上です。
 今日は、雪が降り積もり、富山らしくお正月を迎える風情になりそうです。
 昨年(平成19年)のしめくくりの言葉が「偽」であったことはご承知かと思
います。
 「偽」の反対は「真」(まこと)という言葉になるわけですが、「真に生きる」
ことは、「いつわりの生活」を捨てなければなりませんが、人間にとって大変
むずかしいことです。
 なぜならば、私たちが言葉にする真実とは、自分の都合に合わせた真実
に他なりません。
 それぞれ都合のよい真実がいくつも存在することになります。
ですから、すべての人間の生き方の中にも、必ず「偽」が存在しているのです。
 たとえば、マスコミには「真」があるかと問われれば、そうでもありません。
 いつわりの生活の中にのめり込んでいる現実を、素直に受け止め、反省して
「真」を求めていく気持ちが大事ではないでしょうか?
 現代社会には人間のもつ果てしない欲望に摂りつかれ、「真」を捨て去り、
「偽」を求めざる得ない状況があるように見え隠れします。
 教育現場で子どもたちを預かる私達大人が、いかなる時も「真」を求めて
いく姿勢を見せていくことが「まことの教育」につながっていくと思います。
 ようやく、文科省より幼稚園が幼児のための学校として、お墨付きをもらえ
たことも今後の教育再生へ向けての第一歩と受けとめています。
 3歳から5歳(就学児前)の幼児教育の質向上と、誰でもが幼児教育を享
受出来る環境づくりが急がれています。
 幼稚園の先生方も、小中高同様に教員免許更新制度が導入されます。
 これからは、学校機能の充実を求められ、外部評価等の導入など幼児教
育の中身が問われることになります。
 いかなる制度が導入されようとも、大人の都合ではなく「真」の幼児教育を
日々追求していくことを怠らなければ、子どもたちの育ちは保障されると思います。
 今年は、「まことの保育・教育」理念について、保護者皆様にもご理解いた
だけるよう紹介していきたいと思います。



      8月 15日(水)

            「お盆の風景

 全国的に猛暑のお盆となりましたが、お墓参りにはいかれましたか?
幼稚園はお休みですが、お寺は忙しくなります。朝夕の涼しい時間にと来られる
ので早朝から暗くなるまで一家総出でお参りのご門徒の方々をお待ちします。

 境内に墓地があり、たくさんの方がこの3日間に家族揃ってお参りに来られます。
年老いたおばあちゃんの手をとって、また、成長したお孫さんが赤ちゃんを
抱っこして・・・とお参りの家族も年々様々。
まずはご本堂に向かって手を合わせられるおばあちゃんを見習って、小さい
子ども達も合掌。そして、ご先祖のお墓にお花を供えお参りされます。
ご挨拶してくださるご家族の一年一年の成長を私達も楽しみにしており、
お兄ちゃんがお嫁さんを連れてこられたり、「初孫です」と赤ちゃんを抱っこ
させてもらったりするのは、本当に嬉しい事です。
 昔は「盆と正月」といわれるように仕事もお休みになり、上京している方も
帰省して日常忙しい家族・一族が顔を合わせる事が当たり前でしたが、現在は
そうではないようです。「帰省できなくて、今年は年寄りだけです」「孫達が
大きくなると揃わんようになって・・・」と寂しい話も聞かれます。
けれども「みんな忙しいもんだから、やっとお墓参りの今日兄弟が揃います」と
嬉しそうな家族も。み仏さまもきっとそんな家族の風景を見守って下さって
いるのではないでしょうか。

 個人が大切に考えられるようになった現代では、それぞれが忙しく、家族と
いえどもなかなか顔をあわせることもままならないのかもしれませんが、
お互いにちょっと予定を譲り合って、せめてお墓参りの時間だけでもご一緒
しませんか。亡くなった方のご法要に親族が集まることも、これをご縁と
して仏さまの前に一同が顔を合わせることに一つの意味があります。
それと同じように、ただ個人で「墓参り」をすませるといった感覚ではなく、
この「仏縁」を大切に考えて下さい。
今、私がここに存在する意味、代々受け継がれてきた命のつながりを思い
お墓参りをしていただきたいと思います。
一人ひとりの命の重さや決して個人の力で生きているのではないこと
また逆に、こんなにもたくさんの人とつながっていることなどに気付かされる
でしょう。

 三世代・四世代と一同会してお参りしている姿をきっと仏さまも嬉しく
ご覧になっておられることだと思います。
                                   (副園長 土岐 環)


     8月 9日(木)           

         「八月に思うこと」
       
 1日の神通川の花火、6日の広島・9日の長崎の原爆の日、15日の終戦の日を
迎えるこの暑い時期になると少なからず戦争について考える。過去の戦争の
是非というよりも亡くなった人達や当時を生き抜いた人々の悲しみを思う。

 野坂昭如さんの『火垂るの墓』をご存知の方も多い事でしょう。神戸の空襲を
舞台に書かれたものですが、私の亡き父は「清太」と同じ境遇を生き抜いた
一人でした。
 旧制中学を出たかどうかの少年は、戦況の悪化するなか飛行機を作りに
行ったそうです。そして迎える堺の空襲。みんなが逃げ込んだ防空壕には
ガスが充満しており、母親と3人の姉妹は亡くなりました。奇跡的に助かった9歳の
弟も火傷を負い、重症。跡取りの長男も戦地で戦死、父親も終戦直後に亡くなった
のです。様子を見に戻ってきた17歳の少年が、遺体の山をみて何を思ったのか。
父自身は私達にあまり語ろうとしませんでしたが、その悔しさと悲しさと不安、
怒り・・・は、想像もつかないものであったと思います。
 その後は、『火垂るの墓』と同じ。残された重症の弟を抱え、家もなく戦後の
混乱を生き抜いたのです。母親の残してくれた当時の大金もヤミの食料に変え、
すぐなくなります。大八車に弟を乗せ、身を寄せた親戚の家も程なく出たということ。
父は何も言いませんが、清太や節子と同じような事があったのでしょう。
父の言葉の端々から私は「辛い思いをしたのだろう」と思いやるしかありませんが、
ただ、法灯を守らねばならないという義務感と幼い弟を育てるという責任感で焼け跡
へ戻り、復興へと頑張ったのだと思います。

 私は、身近に戦争体験者がいてその悲しみを自分自身のものとして考えることが
できましたが、戦後何十年と過ぎようとしている今、この悲しみは伝わるのでしょうか。
他人の悲しみは、感じる私に思いやる気持ちがなければ、伝わってこないもの。
いくら詳しい説明があったとしても、心を動かされるかどうかは受ける側の心の問題。
 子ども達には、身近でいい、他人の心の悲しみをわかる人になってもらいたいと
日々願ってやみません。お友達の・お母さんの・家族の・・・言葉にならない悲しみを
察してあげられる優しさが育って欲しいと思います。「どんな気持ちなんだろう」と
考えてみて下さい。その痛みを自分のものとして感じて下さい。
 そんな気持ちの持てる子ども達に育ってくれたなら、いじめの社会問題もひいては
戦争も起こらない世界になると信じています。

                                     (副園長  土岐 環)


   5月 6日(日)

       「太陽ママ

大型連休、どのように過ごされたでしょうか?
真ん中の登園日には、お父さんの送り迎えも多かったですね。

さて、概ね晴れのよい休日だった今年の連休。しかしながら、1日2日は雨。
毎年この時期に行われる小学校の遠足は、激しい雨でした。
「かわいそうに・・・」と止まない雨を恨めしそうに見ていました。
帰ってきた息子に「びしょ濡れだったでしょう」と聞いてみると「ぜんぜん」との返事。
「どうだった?」(母)「お弁当の時ね・・・」「スイカをね・・・」「お菓子はねぇ・・・」(息子)
社会見学についてコメントはなかったものの(笑)グループ活動が楽しかった様子。
そんな話を聞き、雨天時の対策が万全だったんだなぁと先生方に感謝していました。

幼稚園の遠足も朝、残念ながら雨でしたね。「先生、また雨だったね。4月にするのが
悪いんじゃない?」と保護者の声。お天気ばっかりはどうしようもないですからねぇ。
5月の遠足。「花まつり」と「藤まつり」と「交通安全教室」の年長児の保護者同伴も含む
お出かけの合間をぬって日程を決めていましたが、お仕事を持つお母さんの増加と
お出かけばかりになってしまう年長児の事を考えて、遠足だけでも4月にずらしました。
雨天時の別日程も観光バスの予約も取れない状況もあり、取りやめに。
同じ月に3回4回とお休みも取れないですよね。
「晴れ」なら何もいうことないすべての行事。でも、雨になっても子ども達にとって楽しい
想い出になって欲しい・・・。職員室では、一日一日変わる天気予報を聞きながら、
「朝から雨なら」「途中から雨になったら・・・」集合は?点呼は?と9クラスの子ども達と
保護者がスムーズに動けるように念には念をいれ、話し合いを続けました。
当日は、途中から晴れ間がみえ、ファミリープラザでもお外でも遊ぶ事が出来ました。


お天気だけじゃなく、いろいろな事が思い通りにならない私達の日常。
子どもによかれと思えばこそ、お母さんだからこそ「こうだったらよかったのに・・・」と
考えてしまう事もあるかもしれません。でもちょっと一呼吸おいて子ども達の前では言うのを
やめてみませんか?案外子ども達自身は、思ってもみない楽しみ方をしているかもしれません。
大好きなお母さんが楽しくしていれば、自ずと子どもも楽しく感じるもの。
「遠足で○○ちゃんのお母さんとお友達になったよ」「バスの中の歌、上手だったね」
「何年かぶりで、ママ、スキップしたよ」と話して下さい。
きっと雨は子ども達の想い出から消えて、スキップして笑ってるママの姿になりますよ。

登園時の涙。子ども達の心の雨も「新しいお歌覚えてきて、ママに教えてね」「今日のシールは、
何だろう?」と元気いっぱいのお母さんの笑顔で晴れにしてあげて下さい。
「大丈夫かしら?」そんな不安なお母さんの気持ちが子どもにもうつって不安になるのかもしれません。
お外の雨もそんなお母さんなら、きっとピチピチ・チャプチャプ楽しい思い出いっぱいになるはずです。
私自身も忙しい時コワい顔してないかな?反省しつつ、そんな太陽ママになれたらと思っています。

                                          (副園長  土岐 環)


   4月 22日(日)                        

        「和して 同ぜず」

 参観日には、園にお集まり下さいまして ありがとうございました。
保護者会では、承認していただきたいこと また 決めていただきたいことがたくさん
ありましたが、議事の進行にご協力いただき 感謝いたしております。

 さて、お子さんの入園をご縁に ここで顔をあわせた私達。
同じ歳の子どもを育てるという共通項があるものの、そこを離れると年齢も職業も
家庭環境も違います。共感できる部分もあるけれど 共感できないところがあって
当然ではないかと思います。
 手をあげて意見を述べられたお母さんは、かなりのエネルギーがいったことでしょう。
園では、貴重な意見として重く受け止めています。

 論語にある「和して 同ぜず」・・・「同ぜず」の部分は、各々の個性を大切にすること
であり、自分の意見を持つということだと考えます。子ども達にもその部分を伸ばしてあ
げることは、重要なことです。
「和して」の部分は、協調性。思いやりをもって人と接することです。殊に当園は、仏教園。
相手の立場を思いやって行動できる子どもになって欲しいと願っています。
 二つのことを並べてみると逆のような気もしますが、どちらも社会に生きる人間として
身につけておかなければいけないことです。
自分の意見を持たずに人に流されるのではなく、自分の意見は意見として持ち 
相手の意見もよく聞き 折り合いをつけ協調していく・・・
それが「和して 同ぜず」ではないでしょうか。

 個性を大切に・・・昔の日本の教育から比べると定着してきたことだと思います。
けれども逆に「和」の部分が少しなおざりになっている気がします。
聖徳太子の昔から仏教の理想を大切にしてきた日本のよい部分。子ども達にお話しする
仏教目標の中にも「和合」があります。お子さんをご縁にこの園に通われる皆さんは、
子どもはもちろん保護者の方々も この気持ちを大切に、楽しい園生活を送っていただけ
たらと願っております。

                                          (副園長  土岐 環)


   4月 1日(日)

             「幼稚園の役割を考える
                                副園長  土岐  環

 「ガイアの夜明け」〜保育所が足りない!をご覧になった方も多いのではないだろうか。
 役所さんの一人芝居・・・保育所探しで交わされる夫婦の会話。姿も声もない妻の
台詞が手に取るようにわかる。そして、口論に・・・。想像のつく最近の家族の風景。
それほど、少子化と騒がれる中にも保育所が不足しているのでしょう。
 ・ビルの中の託児所。「通勤の途中に会社と提携している保育所に預けて
  出勤できるので時間的・労力的に助かる」とお母さんの話。
 ・大規模販売店。従業員の子どもの為の託児所完備。
 「この制度があるので、パートに出るのを決断できた」と話すお母さん。
 子どもは、お母さんの勤務時間に合わせてタイムカードを押し、預けられる。
 ・深夜まで働かなければならないシングルマザー。
  急の依頼でもお泊りに対応できる24時間保育の園での様子。
  さようならをしてまるで家に帰るように階上の別の部屋で、夕食を食べ・お風呂に入り・
  布団を敷いて寝る子ども達。
 様々な地域でいろいろな現状と取り組みが紹介されており、
仕事を持つお母さんは、このような保育所がないと安心して働けない現状が
伝わってきました。
 お母さんを待つ子どもが寂しい思いをしないよう、大家族のような温かさで保育をする
保育所の必要性もよく理解できました。
 けれども 何か違和感を覚えたのは、私だけでしょうか。
先日卒園した年長児の姿を目にし、3年間の教育の格差を歴然と感じました。
タイムカードを押して預けられる子ども達に、一斉保育が出来るのでしょうか。
お母さんを待つ間、ボールのプールで楽しく遊ぶ子どもの笑顔。
いざ就学となった時45分の授業中、話を聞けるようになるのだろうか。
ビルの託児室で運動会や発表会・おもちつきは、経験できるのだろうか。
行事を通して、頑張る力や工夫する力を身につけ、友達と協力し出来た時の
達成感を味わい成長していく子ども達なのです。
 働くお母さんの為には、必要な保育所や託児所や保育サービス。
お母さんが働きやすくなればなるほど“子どもの為”から遠ざかる現実。
それは、地域の抱える問題が違っても同じだと感じています。
 子どもは、親の手元で少しずつ社会性を身につけ、親もまたゆとりをもって
子育てにかかわり、子どもと一緒に少しずつ親になっていくというのが、理想です。
けれども、今の社会でそれが無理なのなら、“保育”や“教育”が後回しに
なることによって、様々な問題が起こらないよう 行政に迅速な対応を求めます。
幼稚園が保育所化したり、保育所が幼稚園化するような無理のある手段で表面を
取り繕うのでは、問題解決は先送りです。
 私達も、子どもを中心に据え“この地域のニーズにあった子育ては何か”幼稚園に
出来る地域貢献を考え、努力していきたいと思っています。


  3月25日(日)
 
            「能登沖地震」

 今朝、ご存知のように大変大きな地震がありました。
 震度5の地震は70数年ぶりで、震度4とは全然違う恐怖感がありました。
 自宅家屋から「みしみし」と発する音には、びっくりしました。
先ずは、ガス栓を閉めるなど対処すべきところを確認しながら、避難しましたが、
家族の安全確保以外には、頭が回らず、携帯電話や貴重品、防災グッズを持ち出す
猶予はありませんでした。もちろん、それで精一杯だと思いますが、もう少し、普段から
備えをしていればと思いました。たまたま、今日は休日であったことと、食事時間がずれて
いたから、落ち着いた対処が出来たと思います。もし、平日でしたら、園バスの運行中
であったり、園内の子どもたちを避難させたり、大変だったと思います。
 本HPの緊急情報は、電話やメールが繋がりにくくなった場合、子どもたちの安全確保を
お知らせしたり、園の人的・物的被害等の状況把握等に役立てたいと思い、目次の項目に
あります。今回のような地震の際は、必ずクリックしてください。直後、落ち着いた状態になれば、
クリックしていただけるようにUP項目一覧に「緊急情報」UPいたします。
 園のほうは、物的損害もなく大丈夫でした。念のため、明日は隅々まで安全確認をします。
 余震も心配されますので、十分に気をつけていただきたいと思います。
 さて、昨夕は矢野先生の結婚式に参列させていただいたわけですが、挙式前から年中さん、
年長さんと担任していた子どもたちが勢ぞろいして、お祝いに駆けつけてくれました。
 いつも、やさしく子どもたちに接して保育していた先生のお人柄かも知れませんが、式場の方も
こんなに子どもたちに囲まれての式は初めてのことだそうです。
 披露宴の席でも、ビデオに流れる園の子どもたちのメッセージに、大変温かいものを感じました。
 矢野先生も、子どもたちに祝福されて、嬉しかったと思います。どうぞ、子どもたちの声援に
応えていただき、お幸せになって下さい。
 


  3月15日(木)

      「み仏の光に照らされて
                              副園長   土岐 環

 「死んだらどこへ行くの?」幼い子どものこの深い質問に
「お星様になるんだよ」「風になっていつも側にいるよ」と答えた方も多い
ことでしょう。
 
 二月。お参りの折、涅槃会について聞きました。ご存知の通り「涅槃会」は、
お釈迦様がお亡くなりになられた日のお参りです。
「お花まつり」(お釈迦様のお誕生日)に甘茶をかけ、お参りをした子ども達。
お誕生日のお祝いは自然に理解できますが、ご命日はどうでしょう。
「悲しい日だけど、仏様になられた日でもあります。
その日からは、仏様になって皆を見守って下さっているんだよ。」と
お話しました。

「仏様になって見守って下さる」ってどういうことでしょう。
仏様は、お願いを叶えてくれる存在ではありません。逆に、
悪い事をして罰を与えることもありません。一緒に考えて下さって、
私達の心に力を与えて下さる存在であると思います。
 私は「もう、だめだ・・・」と挫けそうになった時、亡き母の姿が
想い出されました。何も言葉をかけてくれる訳ではないけれど、
私達姉妹に洋服を作る為ミシンをかけている母・陽だまりで裁縫をしていた姿・・
側にいてくれているような気持ちになり、最後までやり遂げる事が出来ました。
反省する時、母の悲しむ顔が心に浮かびます。「これでいいんだよね」
自分に問いかける時、頷いてくれたような安心感・・・。
 私達を慈悲の心で育ててくれた身近な人は、亡くなっても仏様となって
私達を照らし続けて下さるのです。折に触れ、心に浮かぶ時
「見守って下さっているんだ」と感じます。

 卒園される皆さん 〜 卒園しても皆は、仏の子です。いつも身近に仏様を
思って下さい。何かに迷った時、反省する時「仏様はどんなお顔をされるだろう」と
心の中で考えてみてごらん。
優しい気持ちになれたり、きっと心に力が沸いてくるはずです。
他人を傷つけたり、自分に自信をなくす事もなくなるでしょう。
そして、このご縁で幼稚園に通われた皆さんは、どうぞ文頭の質問に
「優しかった○○は、仏様になって、いつも見守って下さっているよ」と
答えてあげていただきたいと思います。



  2月14日(水)

          「春一番」

  今日は、朝から春一番といった強風が吹き荒れています。
 温暖化も、いよいよ季節感を変貌させるぐらい進んできた証かも
 知れませんね。1月以来、雪も少ししか降らず、春の陽気を感じ
 させる空が続いていること事態、異常です。
  たぶん、日本の四季が育んできた多くの動植物の命も失われる
 日も近いのではないかと危惧しています。
  ひとつのかけがえのない命が育まれるためには、どれだけの時間
 と過去の歴史が必要なのかを考えなければなりません。
  私という命が生まれてくるためには、両親がおり、両親にもそれぞれ
 両親がいなければなりません。十代、二十代、三十代遡っていくと
 何億人という先祖の命がなければ、私という命は存在しないのです。
  これだけでも、命の重みを感じざるえないはずです。しかし、残念
 ながら、人間のエゴや際限のない欲望によって、多くの命が失われて
 いるのが現実ではないでしょうか。
  仏教では、私の中に同居する煩悩を滅することで、自然と共存し、
 争いごとのない、笑いの絶えない、心豊かな生活を送ることが出来ると
 教えています。
  前回のコラムにも取り上げましたように、「無財の七施」を実践する
 ことで、「仏の心」と似通った生活が送れるはずです。
  自分の命も大切ですが、それ以上に自分の身の回りにある命も大切に
 しなければなりません。
  ですから、自分より他人のことを大事に考え、見返りを求めず行動して、
 感謝の気持ちを忘れないことです。
  本来なら、私の命が誕生した瞬間から感謝しなければいけないのです。
  そして、もっと大事なのは自分の命は身の回りのすべてに生かされて
 いる命であることを知り、身の回りのものを生かしていく命でもあることを
 自覚したいものです。


 2007年 1 月 1日(月)

           「無財の七施」

  新年明けましておめでとうございます。
 年末には、少しばかり雪が積もり、富山らしい冬景色となりました。
 皆様は、それぞれの地域でお正月を迎えられたと思います。
 子どもたちも雪遊びが出来てよかったと思います。
 そして、引き続き風邪やノロには十分気をつけていただきたいと思います。
 さて、去年は、「命」の尊厳を考えさせられる事件や事故、あるいは病気や
自然の猛威といった人間としての生き方や行動を反省していかねばならない
ことが多々あったと思います。
 すべてに通じることは、人間のエゴであり、際限のない人間の欲望によること
が、すべての原因です。
 自然と共存し、争いごとのない、笑いの絶えない幸せの生活を送るため
には、自分自身が「仏の心」を日常的に持つことだと思います。
 「仏の心」を身につけていることが、仏を信じている「信心」ではないでしょうか。
本HPの「幼稚園の概要」にある「仏の子を育てるとは」をご覧になって
いただいた方はご存知かと思いますが、仏教には「無財の七施」という言葉が
あります。簡単に言えば、自分を犠牲にしてでも、他人のことを大事に考え、
見返りを求めない行動です。そして、喜んで笑顔で感謝の念をもって行動する
ことですから、「してあげる」「してあげた」「してやった」という思いあがった心
「優越感」「同情心」ではないはずです。詳しくは、機会があればご紹介していく
予定ですが、せめて以下のことは、ご家庭で実践してみてはいかがでしょうか。

1.いつも笑顔を忘れずに、やさしい眼差しでいましょう。(心豊かな表情)
2.苛立っても怒鳴らずに、どんな時も、やさしい言葉使いをしましょう。(思いやりの
  気持ち)
3.身の回りにあるものは大切にして、丁寧な扱いや感謝の気持ちをわすれない
  ようにしましょう。(感謝の気持ち)
4.他人の悪口や批評することなく、自分はどうなのか自己評価を仏の目線で見つ
  めましょう。(反省の気持ち)
5.どんな人も仲間はずれにすることなく、やさしい気持ちで受け入れてあげましょう。
  (心豊かな行動)
6.人が困っている時は進んで気持ちよく手助けしてあげましょう。(奉仕の気持ち)
7.自分が恵まれた環境(地位や立場)にあったとしても、その環境の固執せず、他人
  であっても譲ってあげることが出来るように考えましょう。(ゆずりあいの気持ち)
 今年も、職員一同、園児たちの心豊かな育ちの場として、自らが「無財の七施」を
実践出来るよう精進してまいります。
 HPも軌道に乗ってきたわけですが、保護者皆様の感想やご意見をお待ちいたして
おります。では、よいお正月を。